三木家住宅のご紹介
[2023年2月1日]
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この三木家が、現在の辻川の地に移住したのは明暦元年(1655)で、その由緒によって代々姫路藩の大庄屋をつとめてきた。現在の敷地は約1861平方メートル(563坪)にすぎないが、東に接して代官宿泊施設のあった「ひがしら」の地があり、また前面の県道を挟んで男衆たちが農作業等をし、うまやのあった「向い角」の地があり、その屋敷は練塀をめぐらし広大であった。
しかし大庄屋としての屋敷構えは今なおよく残されている。表門を入ると、右に馬屋をみて大戸口があり、左の玄関を上がると床の間、違い棚、付書院および仏間などのある一連の表座敷となり、客用の湯殿、便所等を付設し、前面を庭園とする。この建物の鬼瓦には元文2年(1737)のへら書きがあるから、あるいはこのころの建設かと思われる。
背面は家族用の諸室があり、6室からなる2階建ての奥座敷、さらに厨子2階つきの離れへと続く。このうち離れは安永2年(1773)の建設で、表座敷は公式の接待場で格式ばらざるをえなかったのにたいして、このほうはもともと私的な部屋であったので、面皮柱を用いるなどかなり数奇屋風の手法を取り入れ、自由な形式となっている。
土蔵造りの蔵としては内蔵、酒倉などが残されており、前者には元禄10年(1697)と正徳3年(1713)、後者には後書きではあるが同じ正徳3年6月棟上の墨書銘がある。その後修理をうけているがかなり古いものであることが知られ、主屋・離れなどともに建設年代が明らかなので、建築学の資料としても貴重である。
なお、当家所蔵の屋敷絵図を見るとこのほかに代官宿泊所、米倉、作業場、木場、納屋、灰部屋などもあったことが知られる。また、江戸時代以降、明治にいたる家具、什器等生活用具が多く蔵されている。
(伊藤ていじ)
三木家住宅図面PDFファイル
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